臨床心理学からみたいじめとパワハラ-組織と個人の変革―
記事カテゴリ:心理カウンセリング
【はじめに】
今回の記事は、【雑感記事】です。前にも述べましたが、【雑感記事】では、私が日々感じたり考えたことで、皆さんにお伝えしたいなと思ったことを書いています。個人的色彩の強い、気軽な記事です。
タイトル画像は、チェ・ゲバラの漫画の一コマです。明日2017年10月9日で、ゲバラがボリビアで亡くなってから50年がたちます。読みやすい漫画ですので、ご興味のある方は一度読んでみてください。
【小4の出来事】
私が小学4年生の頃でした。クラスの男子らが、ある女子のハンカチを奪って、ハンカチを男子ら同士で投げまわし、その女子が「返して!」と取り返しにくる様を面白そうにからかっていました。そうこうしていると、女の子のハンカチが私のもとに投げてよこされました。男子たちは私にハンカチをよこすように言いましたが、私は男子らを相手にせずハンカチを女の子に返しました。女の子は私に「ありがとう」とお礼を言いましたが、その一方で、男子たちは面白くなさそうに、私に向かって「なに1人だけ偽善ぶってんねん(笑)」と言って、私を嘲笑ったのでした。
【いじめ、パワーハラスメントの本質的課題】
いじめやパワーハラスメントの問題を考えるとき、多くの人がいじめをする人やハラスメントをする人に問題があると考えるでしょう。
しかし、臨床心理学の世界では、「いじめやハラスメントの本質的な問題は、いじめやハラスメントがあると知りながら、それを傍観している人たち(問題を放置している人たちがつくりあげる“空気”)にある」と考えます。
このように考えると、もしあなたの周りでいじめやハラスメントなどの不正義が行われていて、あなたがそれを知っていて何もしていないのならば、あなた自身にも問題があるということになります。
人は誰でも「自分に問題がある・・」というふうには考えたくないし、見たくないし、認めたくないものです。ですから、「いじめをする側やいじめをされる側に問題がある」と考えるほうが楽なのです。このようにして、いじめやハラスメントを生む構造(空気)はできあがっていくのです。
いじめやハラスメントを防止するためには、クラスや会社でいじめやハラスメントについてとりあげ、全員参加で対話していくことです。その際、一人一人に発言することを義務づけます。子どもの場合には、書くのでもよいでしょう。発言を重視するのは、発言することにより、主体的な関与がつよまるからです。そうすることで、いじめをうまない、抑止する空気を作っていくことが、いじめやハラスメントの防止につながります。最近では、ハラスメントの研修を取り入れる会社も増えてきました。
このように、周囲の無関心、傍観者をどのようにして変えていくかが、重要な課題なのです。
【本当の意味での謝罪や反省は難しい】
いじめやハラスメントは、組織(集団)のなかで起こる現象です。
もしあなたが所属する組織において、パワーハラスメントにあい、上司にパワーハラスメントについて訴えたとしても、ちゃんと取り扱ってもらえないばかりか、上司などから圧力をかけられる危険もあります。ハラスメントは権力構造のなかで起こりますから、ハラスメントについて訴えることは組織のなかの権力者を訴えることになりますので、多くの組織は蓋をしようとします。そのため、ハラスメントの問題は組織外部に持ち出され、度々ニュースになるのですね。
また、ハラスメントの訴えが受理されたとしても、本当の意味での謝罪や反省に至ることはほとんどありません。表面的には謝罪は反省があっても、陰で批判されつづけることもあるでしょう。個人が“本当の意味で反省し謝罪する”ことは、大人の世界では容易なことではありません。
ある専門家は、「個人は良い人であっても、組織の一員となると、まるで病気にでもなったかのような振る舞いをすることがある」と組織の難しさに触れています。この現象は、母性性が強い(≒"日本的な")組織に顕著にあらわれます。
【個人の変革は痛みを伴う】
さきほどのいじめやハラスメントの本質で触れましたが、いじめやハラスメントなどの組織集団上の問題の改善解決には、傍観者である周囲の人たちの個々の変革が必要です。それにより、空気を変えていく必要があるのです。
しかし、個々の変革のもととなる個人の“本当の意味での”反省は、痛みを伴う作業です。痛みを伴わずして、本当の反省はあり得ません。
けれども、“日本的な”組織の理事たちは、互いの利益を考え、嫌われることを避け、個人が痛みを感じないように問題を処理しようとします。ですから、一見組織全体としては反省し、反省したように見えても、実際のところ、個人の反省に繋がっていないため、個人は成熟せず、問題は繰り返されることになります。
このとき、組織や集団を構成している傍観者である個々の構成員が本当の意味で反省するためには、痛みを伴う作業を個々の構成員に課す覚悟が組織のトップには必要です。
そのためには、まずは組織のトップが自らの痛みを引き受けることが必要になるのです。
もし組織の変革(成熟)を本気で願うのであれば、組織のトップがまずは先頭に立ち、自身の痛みを引き受け、各構成員に痛みを引き受けるように指示する覚悟が求められるでしょう。
【実行のリスク】
口で言うのは誰にでも言えます。変革のためには実行することが大切です。
もちろん実行はリスクを伴います。私自身、上司の過ちを指摘し、ハラスメント問題をとりあげたことがあったのですが、上司や組織を訴追するなかで、非常に苦い思いをしましたし、仕事上の不利益も被ることになりました。それでも、私の場合は、幸いにも組織のトップが理解を示してくれたので良かったですが、場合によっては、組織から首をはねられるような事態にもあったことでしょう。また、周囲の多くの人は真相を知りませんし、日本的な文化のなかにあっては、「厄介な人」扱いをされるリスクは覚悟しなければなりません。実行には、こうしたリスクを承知で最後までやり抜く覚悟が必要なのです。
【覚悟を決めるとき】
人の尊厳や命がかかるような事案において、所属する組織の対応に不備や誤りがあった際には、自分の立場に照らして、場合によっては、職を辞する覚悟で是正に取り組む必要があるのではないでしょうか。
その意味では、私がしているスクールカウンセラーの仕事は、学校組織における唯一の心の専門家ですから、非常に責任が重い仕事と言えます。
【自分の足もとを見つめて】
大切なことは、「自分の行いが誰のためのものであるのか」をたえず見つめることです。
組織は、組織を守ることに必死になりがちです。そのため、そもそも組織は誰のためのものなのか、「利用者のためのものではなかったか」という一番大切なことを忘れてしまうのです。それは今の政治と同じです。
行為の選択には、少なからず「自分のため」が入って当然ですが、「誰のためなのか」「何のためなのか」をごまかさず見つめることが、どのような場合においても大切です。
【政治の恐ろしさ】
最後に、政治の恐ろしさについて言及しておきたいと思います。
あるとき、私は“政治”が学校現場に介入する場面に遭遇しました。私は心の専門家として、職を辞することも覚悟して対応にあたりましたが、責任感の強かったある先生は、死の際に瀕することになってしまいました。
政治の力とは非常に恐ろしいものです。東日本大震災における原発事故の際にも起こっていたことですが、政治はいとも簡単に人を死に追いやります。また、政治は無慈悲に多くの人を傷つけます。
そして、そのような政治の動きを生み出している人たちには、自分たちが多くの人を傷つけ、ときには死に追いやっているという自覚がありません。政治はある種の空気をつくり、その空気によって人を追い込んでいき、かつ誰も責任をとることのない、恐ろしい集団的力なのです。
もしこのような恐ろしい政治の動きに遭遇した場合に私たちにできることは、一人一人が声をあげ、繋がり、新たな空気をつくるしかないでしょう。1人で立ち向かうには危険すぎます。連帯して空気をつくり、その空気で自分たちを守ることが必要です。
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