「人間、正義、真実への愛」と心の病ーチェ・ゲバラに学ぶ心の処方箋ー
記事カテゴリ:雑感記事
【はじめに】
本記事では、キューバ革命を成し遂げたエルネスト・チェ・ゲバラの生きざまから、現代の心の病の発生と予防について論じてみたいと思います。ポイントは、チェ・ゲバラの名言である「人への愛、正義への愛、真実への愛」です。
最初に、チェ・ゲバラの生涯について簡単に紹介した後、私が思うチェ・ゲバラの理解について述べ、その後に、心の病について述べていきます。事例として、不登校のケースを少しとりあげます。不登校に関心がある方も、よろしければご一読ください。
大きなテーマを扱った記事ですので、分かり易く十分に伝えることができていない箇所も多々あるかと思いますが、本記事が皆様に役立てば幸いです。
【エルネスト・チェ・ゲバラ】
本名エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(以下、ゲバラと表記)は、説明するまでもないほどの有名な人物ですが、知らない人もおられるかもしれませんので、簡単に紹介したいと思います。
ゲバラは、1928年6月14日、アルゼンチンの第二の都市ロサリオで、経済的には恵まれた家庭の長男として生まれました。ゲバラの両親は、保守的な慣習にとらわれないリベラルな思想の持ち主で、ゲバラの母は無神論者でもあったそうです。
未熟児で生まれ、肺炎を患うなど病弱であったゲバラは、3歳になる直前に喘息の発作に見舞われます。ゲバラの喘息の程度は重度で、酸素吸入器などを使用しなければ、生命の危機に陥るほどでした。そのため、「重度の喘息が、その後のゲバラの強い意志の形成に大きな影響をもたらした」と言われています。
重度の喘息もちであったゲバラですが、中学生になると、喘息に抗うようにラグビーなどの激しいスポーツを好むようになり、友人らからはフ―セル「激しい男」と呼ばれていたそうです。激しい気性をもちあわせていたことが伺い知れます。小学校時代はというと、喘息の症状がないときには、近所の子どもたちを引き連れて通りを練り歩くようなガキ大将だったらしいです。
また、小学校高学年時代には、喘息が学校に通えないほどまでに悪化し、母親に先生の代わりをしてもらっていました。喘息の発作が起きると、ゲバラは読書に安らぎを求めました。ゲバラは文学作品だけでなく、哲学書や、ユングやフロイトの精神分析論なども読んでいました。ゲバラは知的好奇心に溢れ、知識教養にたけ、思慮深い青年だったとも言われています。一方で、服装には無頓着で、この頃には、すでに骨の髄からの反権威主義者になっていたそうです。
写真は悩む若き日の青年ゲバラ。
【医学部への転入】
1946年に、ゲバラは大学の工学部に入学しましたが、祖母の看護と死をきっかけに、医学の道を志すことを決め、1947年にブエノスアイレス大学医学部に転入します。このとき、ゲバラの両親は不仲で、生活もかなり苦しくなっていたと言われています。
【人生を変えた2つの旅】
1951年12月、当時すでに医師として働いていた年上の友人であるアルベルト・グラナードに誘われ、南米縦断の旅にでます。その旅路の途中で、2人は貧しい労働者夫婦に出会い、彼らの貧しい境遇や弾圧された話を聴きます。次第に、アメリカに代表される帝国主義(資本主義)による南米の国々に対する搾取の構造に対して、不信感を募らせていきます。ちなみに、ゲバラは当時付き合っていた彼女からもらった大切な資金を、貧しい労働者夫婦に渡しています。
また、ハンセン病患者らが隔離された施設で医師として働くなかで、患者らが隔離されていることに葛藤をおぼえたゲバラは、規則を破って患者らと素手で握手をかわしたり、サッカーを一緒にするなど、患者らと心が触れ合う体験を大切します。
ゲバラは、つねに自分に正直で、好き嫌いがはっきりしていて、自身の気持ちや考えを外にだし、一方で思慮深く、弱者の存在と向き合いつづけ、自身の内なる声に耳を傾け、深く問い続けました。あるとき、恩師から恩師の自信作であった小説の感想を尋ねられたゲバラは、「言葉が陳腐で読むに耐えなかった」と正直に感想を述べ、恩師から「君みたいな正直な人間ははじめてだ」と言われています。
8か月ぶりにブエノスアイレスにもどったゲバラは、1953年6月に医学博士となります。しかし、それまでの旅によって、自身の心の内で何かが変わりつつあったゲバラは、内なる声にしたがって、1953年7月に、2回目の南米放浪の旅にでます。革命直後で混乱期にあったボリビアで、貧しい農民と労働者たちの地主との闘い、ほとんど傍観するだけの政府、腐敗した指導者たちの姿などを目の当たりにします。
この2つの旅は、ゲバラを大きく変え、キューバ革命の参加の礎をゲバラの心のなかにつくったのでした。
【闘いの人生へ】
1955年7月、メキシコシティにて、ゲバラはフィデル・カストロと運命的な出会いを果たします。ゲバラは当時のカストロとの出会いを、「(カストロは)若くて聡明で、非常に自信家であり、普通では考えられないような勇敢さをもった青年だ。お互いに気が合ったと思う」と振り返っています。
カストロとの話し合いは10時間あまりに及び、国際情勢、南米大陸の現状、キューバやグアテマラの革命について、意見を率直に語りあいました。そして、ゲバラはカストロとともにキューバ革命に参加する決意をしました。当時、ゲバラは27歳、カストロは29歳でした。
ちなみに、このとき、ゲバラのあだ名として知られる「チェ」は、アルゼンチン人が他人を呼ぶときによく言う言葉で、「ねえ、君」という意味です。
メキシコからキューバへの上陸当時、革命軍はゲバラやカストロを含め、わずか12人でしたが、その後、地元の農民の支持や革命軍への参加を得て、同志を増やしていきます。そして、約2年間にわたるゲリラ闘争の末、キューバ革命を成し遂げたのでした。
【闘いだけではなかった「ゲリラ闘争」】
フィデル・カストロとチェ・ゲバラ率いる革命軍は、敵味方関係なく、負傷した兵士を置き去りにすることはせず、治療をしました。捕虜として捉えた兵士も殺さずに解放していました。地元農民に対する略奪などの非道を固く禁じ、禁を犯した者には確固たる覚悟で罰を与えました。ある時、革命軍のなかに禁を犯した者が現れました。ゲバラは隊員に死刑を言い渡しましたが、それを実行しようと名乗りでる者は誰1人いませんでした。そして、ゲバラ自らが引き金をひいたのでした。
また、ゲバラは読み書きや本を読み、知識教養を身につけることの大切さを隊員に繰り返し伝えました。ゲリラ闘争をしながら、隊員への識字教育も行っていました。
【訪日していたゲバラ】
1959年7月、当時31歳のゲバラは通商を目的に日本に訪れた際、広島を訪問し、原爆死没者慰霊碑に献花し、次のように言いました。「君たち(日本人)はアメリカにこんなひどい目を遭わされて、怒らないのか」。
【“真の”社会主義国家、第三世界の樹立を追い求めたゲバラ】
ゲバラは、当時のアメリカによる搾取の構造である資本主義に対して、「資本主義は個人と自由の大切さをうたうその影で、目に見えない巧みな搾取の構造によって、不平等・不公平な格差社会をつくり、維持している」とし、“真の”社会主義社会の実現を訴えました。そのためには、国民一人一人の変化(教育)が必要であると同時に、経済システムの変化が同時に行われることが絶対条件であるとしました。1964年12月11日のニューヨークにおける国連総会では、アメリカをはじめとする資本主義を強烈に批判しました。
ゲバラの“真の”社会主義国家の樹立を追い求める精神は、「当時の社会主義国であったソビエト連邦共和国や中華人民共和国も(アメリカの)帝国主義と同じである」と批判するまでに至ります。そして、1965年2月24日、アルジェで開かれた第2回アジア・アフリカ経済会議において、ゲバラは公然とソビエト連邦を批判しました。その結果、キューバの代表であったフィデル・カストロは、当時アメリカと激しく対峙していたキューバにとって必要な存在であったソビエトから、ゲバラを主要なポジションから外すことを迫られてしまいます。カストロやキューバのことを案じたゲバラは、1964年4月1日、カストロに「別れの手紙」を渡し、「自分が死んだら公表して欲しい」と伝え、翌日、秘密裡にキューバを去ります。
【困難を極めた理想の実現と現実】
キューバを去ったゲバラは、資本主義に搾取される南米の国の解放を支援するべく、1965年4月、コンゴにおいて、革命闘争に参加します。しかし、キューバ革命を支えた士気の高さや規律、モラルが、コンゴの反政府勢力に欠けていることにショックをうけ、挫折することになります。
1967年2月、ゲバラはボリビアにその舞台を移し、革命闘争を実行します。けれども、ここでも現地の共産主義勢力や地元農民との共闘がうまくいかず、アメリカから支援をうけたボリビア政府のレンジャー部隊によって、同年10月8日の昼過ぎ、とうとう捕らえられ、翌日の10月9日、イゲラ村の学校施設内で殺害され、39歳でその生涯を閉じました。
【ゲバラ最後の瞬間が意味するもの】
ゲバラ殺害から約50年がたった今日、彼の殺害に関わった人たちの証言が次々と明らかになってきています。
彼と最後に会話を交わしたというイゲラ村元教師のフリア・コルテスという女性は、捕らわれのゲバラと話すうちに、ゲバラがボリビア軍の兵士たちから聞かされていたような粗悪な人間ではないことに気づきます。そして、彼女はゲバラのカリスマ性に圧倒され、次第に彼の眼差しに畏怖の念をいだくようになり、ついにはその場から逃げ出しました。
また、収容所の警備兵のなかには、彼の瞳と言葉に感銘をうけ、逃走の手助けを申し出る者もあらわれました。しかし、ゲバラはそれを断り、死を選びました。
ゲバラの殺害命令がでた直後、多くの軍人がゲバラを殺害することを嫌がりました。ゲバラの殺害の命令は、どんどん下仕官にくだっていくことになり、ある兵士が殺害を名乗りでました。その兵士は、お酒を飲んで自分を麻痺させ、ゲバラに近づくと吐き気をもよおし、凄まじい葛藤のなかで彼を射殺することになります。
チェ・ゲバラ殺害に関するその後のインタビューにおいて、元レンジャー部隊長のアヨロア大佐は、ゲバラ殺害の報を聞き、「思わず“なんだって?”と聞き返しました」と述懐し、ボリビア軍を率いていたガリー・プラド将軍にいたっては、「(ゲバラ殺害の報を)聞いたとき息が止まった。そんなことを期待した者は誰もいなかったからだ」「実際に(ゲバラの殺害を)決断したのは、アメリカ大統領府と軍の最高司令部だ」と答えています。ゲバラがとったゲリラ闘争という手段に対しては様々な意見があることでしょう。しかし、ゲリラ闘争の根底にあったゲバラの主張や思想には、人としての普遍的なテーマがあり、正義があったことが、多くの人々の反応から伺い知れるように、私には思えるのです。
【ゲバラのゲリラ闘争にみる、資本主義の「影」への挑戦】
「貧困にあえぎ、搾取に苦しみ、権力に不当に傷つけられ、苦しんでいる社会的弱者に関心を注ぐこと」、それがゲバラの言う「人間への愛」なのだと私は考えます。そしてこれは、資本主義の「影」を見つめることとも言えます。チェ・ゲバラは、物事に潜む「影」の面に非常に敏感な人物だったのではないでしょうか。
しかしながら、組織の「影」に対抗するのは非常に困難な仕事です。それが、チェ・ゲバラの場合、世界を支配している資本主義という超巨大システムの「影」に対する挑戦ですから、「命懸けの仕事」という表現ではなまぬるいほどの、果てしなく困難な仕事だと言えます。その果てしなく困難な仕事を、彼は本気で試みたのですね。カストロは、その仕事が短期間では成し遂げられないことをよく分かっていたのでしょう。「ボリビアでの革命闘争をもう少し待てないか」とゲバラを説得しようとしました。ですが、ゲバラは我慢することができませんでした。その結果、彼はボリビアで殺害されることになります。
【チェ・ゲバラという人物】
いかがでしたか。皆さんは、チェ・ゲバラという人物にどのような印象をもちましたでしょうか?
私の知識の乏しさもあるので、詳しく知りたい方は独自に勉強して頂き、理解を深めたうえで、より深く判断して頂けたらと思いますが、人によっては、ゲバラに対して、「自己陶酔」「自己主義者」「理想主義者」「独り善がり」などと批判的に感じる人もおられるかもしれませんね。特に、「ゲリラ闘争」という手段に対しては、彼の激烈さや暴力性を感じ、拒絶感を感じる人もいるのではないかと思います。実際、ゲバラに対しては、いろんな評価があります。
しかし、彼が「ゲリラ闘争」を選んだのは、彼が単に激しかったからではなく、徹底したリアリスト(現実主義者)であったからだと、私は思います。彼のリアリスト精神は、彼の青年の頃の旅において、人々が目を背けがちな事柄に真摯に向き合っていた姿に強く伺い知ることができます。
また、社会的弱者に対する彼の行ないは、「人間への愛」を強く感じさせます。ここで勘違いしてはいけないのは、彼は人間個人に対しては厳しかったということです。彼の“真の”社会主義国家の樹立の論弁においても印象強く感じられるのは、個人一人一人の変革、責任と覚悟を強いる姿勢です。また、個人の能力を重視し、能力のある人間が社会を率いる集団となり、社会を責任もって動かしていく「前衛中核主義」を提案しています。ですから、「愛」を「人間個人に対する優しさ」とイメージしてしまうと、違和感が生じてくると思います。彼の言う「人間への愛」とは、人間という存在に対する「愛」なのです。つまり、人としての尊厳、生命への尊厳といった、人の存在に関わるレベルのものなのです。
ところで皆さんは、「愛」の反対は何だと思いますか? 「憎しみ」と考えた人もおられるかもしれませんが、「愛」の反対は「憎しみ」ではありません。「無関心」です。物事の真実をごまかさず知ろうとし、苦しみにあえぐ人の存在をみつめ、その人たちの苦しみを知ろうとする行為が、「愛」と言えるのです。ちなみに、「褒める」の反対は「比較」です。
【人間存在に対する根源的欲求と現代社会が生む“心の病”】
私がチェ・ゲバラをとりあげるのは、単に私がチェ・ゲバラに惹かれているからではありません。「今日、チェ・ゲバラが世界中の多くの人々に感銘をあたえ、支持され、人々を魅了してやまないのは、チェ・ゲバラの生き様が人間にとって普遍的で大切なテーマを内包しているからではないか」と考えているからです。その普遍的で大切なテーマが、冒頭にあげた「人間への愛、正義への愛、真実への愛」なのです。
これを私の言葉で言いかえれば、理不尽や不誠実への怒り、無関心と放置(事なかれ主義)への怒り、真実の希求と正義の実行、「おかしいことはおかしい」とはっきり言えることの大切さ、それを支える個人の責任と覚悟、です。
学校におけるいじめにしろ、組織におけるパワーハラスメントにしろ、虐待、自傷行為、トラウマなど、多くの心の病を生んでいる環境には、チェ・ゲバラが大切にしたこれらの根源的で普遍的な大切な要素が欠けている場合が多いのです。
ここで、不登校のケースを例にあげてみたいと思います。
不登校になっている子どもには、「純粋な心をもった子どもが多い」とも言われています。実際、私自身の経験からもこれに同意できます。
私が出会った不登校の中学生の男の子は、学校の先生に対する極度の不信を抱えていました。そして、彼とのカウンセリングをつづけるうちに、彼が小学校の低学年のときから、担任の先生の誤った指導に激怒していたことが分かってきたのです。
けれども、まだ小さかった彼は、そのおかしさを十分に言葉にすることはできませんでした。担任の先生は、自身の誤りを認めることなく、教師と児童という力関係のもとに、彼を抑えつづけました。他の教員は、担任の誤りを認識しながらも、誰も改善しようと動くことはありませんでしたし、彼にその問題について声をかけることもしませんでした。そして問題は放置され、次第に、彼は先生という存在に非常に不信感を抱くようになりました。さらに、放置された環境は、やがて彼にトラウマ体験を与えることになり、彼は不登校になったのでした。私は彼とのカウンセリングで、彼の怒りに寄り添い、学校の先生の誤りをはっきりと指摘し、彼の正当性を支持しました。それによって、彼は自分をとりもどし、登校できるようになっていきました。
その後、過去に被ったトラウマによってより「影」の面に敏感になった彼は、物事の「影」の面とどう付き合っていくかが、1つの人生の課題となったのでした。
彼のように、自身の感覚や主張に正当性や正義を感じながらも、権力によって不当に抑えつけられ、その結果、心の病にかかっている人たちがいます。
日本社会は母性社会であるため、組織を守る動きが非常に強く働き、組織を揺るがすような発言や行為をする者(「影」に挑戦しようとする者)は、組織による集団圧力が容赦なく加えられ、抑えつけられることになります。また、それに対して組織自身による自浄作用が働くこともほとんどない(放置されたままになりやすい)のです。
けれども、チェ・ゲバラの生き様に代表されるように、人には真実と正義をもとめる根源的な欲求があります。今の政治に対して多くの人々が抱く反応をみても明らかです。
ですから、チェ・ゲバラとまではいかなくとも、個人一人一人が自身の心のうちに照らし合わせて、不都合な真実から目を背けず、苦しんでいる人に関心をもち、「おかしなことはおかしい」と正義を大切にする真摯な姿勢をもつことが、組織などの「影」による圧力を和らげることになり、多くの病の予防と改善につながるのではないでしょうか。
【終わりに】
本記事の終わりに、エルネスト・チェ・ゲバラの言葉をいくつか紹介し、本記事を閉じたいと思います。
いま信じられないような偶然のおかげで、僕にはいまわかった。
僕は旅をする運命にあるのだ、と。
僕はキリストじゃないし、慈善事業家でもない。
キリストとは正反対だ。
甘ったるいと思われるかもしれないが、言わせてほしい。
ほんとうの革命家は、大いなる愛情に導かれている。
愛のない本物の革命家なんて、考えられない。
もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。
(5人のわが子どもたちへ)
この手紙を読まねばならないとき、お父さんはそばにはいられないでしょう。
とりわけ、世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、痛みを感じることができるようになりなさい。
これが革命家において、最も美しい資質です。
子どもたちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
お父さんより
※本記事で述べている「影」の概念について詳しく知りたい方は、「生きるための知恵❸―影との出会い―」をお読みください。
てだのふあカウンセリングルーム
2017-09-23「人間、正義、真実への愛」と心の病ーチェ・ゲバラに学ぶ心の処方箋ー
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