イメージ(≒物語)の力による心の変容ー『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』に見られる心理的テーマを巡ってー
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【はじめに-私が映画やアニメなどの物語を取り扱う理由について】
はじめに、私が映画やアニメなどの物語を取り扱う理由について、少し簡単に述べておきたいと思います。
先出の記事においてチェ・ゲバラを扱った際にも述べましたが、「多くの人に感銘や感動を与えている作品や出来事や人物には、それだけ多くの人に共通の普遍的なテーマが備わっている」と考えられるからです。
テーマにはいろんなものが考えられますが、私の場合は、臨床心理学的な視点からテーマをとらえ、解説しています。
特に、アニメや漫画などのサブカルチャーには、現代の人々が抑圧している普遍的な心理的テーマが素直に描かれていることが多く、その傾向は、深夜アニメになると顕著です。深夜アニメには、人間の暴力性や残酷性、性にまつわる内容など、人々が生きるうえで抑圧しがちな様々な内容が描かれています。
話を元に戻しますが、カール・グスタフ・ユングをはじめとする臨床心理学の一部の学者たちの間では、歴史的に引き継がれてきている物語(神話や昔話など)には、それだけ人類にとって普遍的なテーマが内包されており、それ故に何千何百年と引き継がれてきたのだと考えられています。また、私が記事で度々引用し紹介している河合隼雄は、日本神話や昔話の臨床心理学的研究の第一人者で、数多くの著作を残しています。
【あなたの感動体験(=心のリアリティ)を大切に】
ただ、映画等の物語に対して臨床心理学的な分析や解釈を加える際には、以下の点で注意が必要だと私は考えます。
ひとつは、物語の臨床心理学的な分析や解釈はあくまでも推測でしかすぎず、絶対的なものではないということ、ふたつめが、分析や解釈にとらわれてしまうことによって、その物語がもっていた感動体験を失してしまうことは避けられる必要があることです。
その物語がその人にとって影響があるかどうか、意味をもつかどうかの最も大切な要素は感動体験です。感動体験があってはじめて、その物語はあなたにとってリアリティをもつことになります。感動体験なく、分析や解釈のみにとどまる姿勢は、物語の価値を著しく損なうと私は思います。「この表現は心理的にこういう意味だ」と分析にすることにとどまっている場合は、その人にとっては物語やイメージは記号にしかすぎず、物語としての活力を失っていると言えるでしょう。
その意味で、以下の文章で私は『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』について、臨床心理学的な解釈を述べていますが、皆様においては、あくまで推測のものとして読んで頂き、各作品に対するご自身の感動体験や解釈は大切に持っていただきたいと思う次第です。
なお余談ですが、宮崎駿監督は、過去に河合隼雄と対談しています。
では、以下に『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』について、臨床心理学的な解釈を述べていきたいと思います。その理由は、この2作品には、人が生きるうえで重要な心理テーマが、イメージを通して隠喩的に語られているからです。
【『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』の共通点】
『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』の共通点(共通の心理的なテーマ)は、「大地」にあります。それは『風の谷のナウシカ』における物語と、『天空の城ラピュタ』におけるラピュタの悲劇を考えてみると分かり易いと思います。
それではまず、『風の谷のナウシカ』の物語からみていくことにしましょう。
【汚染された大地】
『風の谷のナウシカ』では、物語の世界設定として、「文明を崩壊させた「火の7日間」という最終戦争から1000年後の大地=汚染された大地」が設定されています。
そして、物語の主人公であるナウシカは、父の病気の治療や腐海(※下記説明を参照)を恐れる人々を助けるために、自ら腐海を訪れては、腐海に育つ植物を採取し、1人で腐海が生まれた理由を調べつづけていました。その結果、風の谷の砂や水までもが汚染されていることをつきとめます。
その後、アスベルとともに「腐海」の深部に落ちることになったナウシカは、腐海の深部ではマスクをしなくても生きていけることに気づきました。そして、腐海が生まれた理由と腐海を守る蟲たちの役割を悟るにいたります。腐海の植物たちは、人間によって汚染された大地の毒(汚染物質)を瘴気として排出し、汚染された大地を綺麗な大地へと浄化する役割を担っており、蟲たちはその森を守っていたのでした。
※腐海…マスクをしなければ5分で人を死にいたらしめる猛毒の瘴気を排出する「森」のこと
【飛行石の謎】
次に、『天空の城ラピュタ』におけるラピュタの悲劇に着目したいと思います。
「ラピュタ」は、大きな飛行石によって空に浮かんでいる島のことですが、なぜ人々(=ラピュタ人)が飛行石を発明し、大きな島を空へと浮かばせたのかは、その物語のなかでは描かれていません。『天空の城ラピュタ』の音楽アルバムのタイトルに目を向けてみると、「飛行石の謎」と名づけられているのですが、私は宮崎駿監督が与えてくれたヒント=「飛行石の謎」をつきつめることで、『天空の城ラピュタ』の物語の真相に近づけるのではないかと考えました。
その「飛行石の謎」の答えが、物語終盤のシータのセリフに込められていると思われるのです。ムスカによってラピュタの玉座に追い詰められたシータは、ムスカに対してこう言います。
「ここが玉座ですって?ここはお墓よ。あなたと私の。」
「国が滅びたのに王だけ生きているなんて滑稽だわ。あなたに石(飛行石)は渡さない。あなたはここから出ることもできずに、私と死ぬの。」
「いまは、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷(シータの故郷)の歌にあるもの・・。『土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう』」
「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても・・・土から離れては生きられないのよ!!」
このシータのセリフに、「飛行石の謎」の答えでもある「ラピュタの悲劇」が述べられているのです。私が思うに、「ラピュタの悲劇」とは、「土から離れては生きられないことを知りながら、大地から浮かばざるを得なかったところにある」のではないでしょうか。つまり、ラピュタが土から離れなければいけなかった理由こそが「飛行石の謎(飛行石がつくられた謎)」であると言えます。
また、ラピュタの象徴とも言える大樹は、「世界樹」と呼ぶにふさわしい荘厳さがあります。「世界樹」は人の魂と密接な関わりがあり、大地に根ざしているのが本来のあるべき姿です。
そう考えると、当時の大地には人々が住めない、あるいは大樹を育めない理由があったのではないか、と推測されるのです。それは戦争だったのかもしれませんし、ナウシカの世界のように大地が汚染されていたのかもしれません。
このように、『天空の城ラピュタ』は心が躍るような冒険活劇と紹介されることが多いですが、じつはその裏には「悲劇」が描かれており、その2面性は、全く異なる表と裏の外観をもったラピュタ絵そのものに描かれているのです。
この『天空の城ラピュタ』に描かれている悲劇=悲しみは、大地にまつわるものであり、大地に何らかの異変があったことを想像させます。そして、私は「ラピュタの悲劇をもたらした大地の異変とは、『風の谷のナウシカ』で描かれている汚染された大地のことなのではないか」と考えているのです。
【腐海と天空の城ラピュタがうまれた謎】
ここで、『風の谷のナウシカ』において腐海が誕生した謎と、『天空の城ラピュタ』においてラピュタが天空へと浮かびあがった謎について、あらためて考えてみたいと思います。
この2つの謎に対する答えは、ともにほぼ同質の答えなのではないかと、私は考えています。それは当時の人々が過酷な世界を生き延びるために、あるいは世界を滅亡から救うために、とらざるを得なかった苦渋の術であったというものです。
当時の人々は、腐海とラピュタに生き延びるための希望を託したのかもしれません。
【イメージとして描かれる「大地」の臨床心理学的解釈】
以上、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』の共通点として、「大地」の異変が挙げられること、そしてそれは非常に悲しい物語であったこと(物語がもっている悲しみは、二つの作品の音楽に非常に表れていますね)、を確認してきました。
そこで、いよいよ「イメージとしての大地」が、心理学的には何を意味するのかについて、お伝えしたいと思います。ただ、冒頭にも述べましたように、これは1つの解釈にしかすぎませんので、絶対的なものとしてとらえず、作品そのものがもっている味わいや感動、あなたのこれまでの体験を大切にしてください。
大地とは、ずばりそのまま、生命を育む土台であって、人が生きる上で栄養や養分を与えてくれるものの象徴であり、精神的物理的な状態の象徴でもあります。ユングがいうところの「セルフ」と言ってもよいでしょう(「セルフ」についての説明は、ここでは割愛します)。
ここでいう栄養とは、“心理的な栄養”と表現できるでしょう。では心理的な栄養とは何かといえば、母なるものとの関係(≒母子関係)です。専門的な用語を使えば、「愛着関係」と言うこともできるでしょう。スキンシップに代表される母親との情緒的、愛着関係は、生きる上での心身の土台のようなものです。ただ、ここで重要なことは、「イメージとしての大地」とは、「"母なるもの"との関係を包含していますが、必ずしも実際の個人の母親との関係ではないこと」が重要なPOINTです。
ですから、大地が汚染されているということは、心の栄養素を与え育んでくれる母なるものとの情緒的関係が、なんらかの理由でうまく築けなかった可能性があることを示唆しており、少なくとも自分を育む精神的地盤が傷ついてると解釈できます。
『風の谷のナウシカ』では、主人公のナウシカは父との結びつきは強いのですが、母との結びつきが弱い(=無表情の母親のワンシーンに表現されている)のですね。また、『天空の城ラピュタ』では、シータとパズーは2人とも孤児です。パズーには父の面影はありますが、母の影は感じられません。この構図はナウシカと共通しています(共通点はその他たくさんあります)。
そして、『天空の城ラピュタ』における飛行石の開発とラピュタの浮遊は、【腐海とラピュタがうまれた謎】の項で述べたように、何らかの体験により精神的な地盤が危機に瀕し、心がそれを生き延びるためにとった「精神を守るためのメカニズム」だったとも考えられるのです。
浮かびあがることで精神を守る心のメカニズムは、躁状態になることで精神を守る心の営みなのですが、その裏には、強い鬱(悲しみ)が存在しています。
【失われし大地との絆を結ぶ(とりもどす)】
では、「もし母なるものとの関係がうまくいかず、汚染された大地に住むことになってしまったらどうすればいいのか」ということが問題になってくると思います。その一つの答えが『風の谷のナウシカ』で語られている古い伝承にあるのです。そこで、伝承文を紹介します。
その者
青き衣をまといて
金色の野に降り立つべし
失われし大地との絆を結び
ついに青き清浄の地に導かん
伝承にあるように、『風の谷のナウシカ』の物語は、失われし大地との絆を結ぶ物語です。母なるものとの関係の改善には、イメージに例えていうならば、「大地の変容を促し、大地との絆を結びなおす」作業が必要なのです。これを現実的な作業で言うと、自身の母子関係をみつめ、母子関係における感情や葛藤を吐き出し、母なるもの(愛)を求めている感情をありのままに認め、母なるもの(異性であったり自然であったり)との繋がり感を得ることです。
【命懸けの仕事】
ですが、いま述べた作業を達成することは、実際には容易なことではありません。
ナウシカは、父を殺された瞬間に、我を失い、人を殺めてしまいます。そして身の内に潜む怒りの大きさに恐れを抱きます。ナウシカの内に眠る憎悪と怒りの感情は、巨神兵のごとき怒りであり、王蟲の群れに表現されている凄まじい怒りです。ナウシカは、失われし大地との絆をむすぶその過程において、凄まじい怒りとの対峙をよぎなくされたナウシカは、命をかける必要があったのです。その結果、王蟲の怒りは消え、失われし大地との絆を結ぶことに成功したのです(腐海の深部に芽生えた命のシーン)。
この『風の谷のナウシカ』の物語に描かれているように、母なるものとの関係を結びなおす作業は、怒りとの向き合いを避けては通れないのです。しかもその怒りは個人を身体の内(心)から滅ぼしてしまいかねないほどの凄まじい怒りです。
『天空の城ラピュタ』におけるイメージで言えば、ラピュタのいかづちの如きものです。『天空の城ラピュタ』では、パズーとシータが滅びの言葉をもちいて、命をかけてラピュタのいかづちの源であった黒い半球体をほろぼしましたが、凄まじい怒りとの向き合いの作業は、命の危険性を孕んだ作業なのです。
怒りの象徴としての巨神兵や目が真っ赤な王蟲、ラピュタの黒い半球体は、トラウマの視点から理解することも可能です。母なるものとの関係の喪失は、「聖痕」と呼ばれるぐらいの大きな心理的トラウマです。トラウマをうけた心の特徴は、凄まじい怒りと攻撃性の高さです。この攻撃性は外に向いても大変ですが、内に向くと実際に本人の命を奪ってしまうリスクがあるほどのものです。不要意にこの種の怒りにふれてしまうと、怒りの業火に燃やし尽くされ、精神や人格が破壊されてしまうか、あるいは命がなくなってしまう危険性があります。
また、トラウマを抱えている人は、大抵の場合、躁鬱傾向を抱えていることが多いのですが、躁状態になることによって、心が踏ん張っていると理解できます。その意味では、凄まじい怒りとの対峙の後には、悲しみを背負う(鬱を生きる)作業が待っています。悲しみを背負う作業もまた、非常に辛い作業です。そのためにも、自我を鍛える必要があります。
ですから、母なるものとの関係の結びなおし(=失われし大地との絆をむすぶ作業)は、命をかけるほどの相応の覚悟が求められ、一生をかけておこなうものというぐらいの認識が必要です。
【治療の実際】
私が10年以上前に出会ったアスペルガー症候群の(診断があった)小学校低学年女児の「よう子」の、約3年にわたるケースを簡単に紹介しようと思います。
がその前に、まずはプレイセラピーについて紹介します。
相談者が幼い子どもの場合、多くのカウンセリング施設では、プレイセラピーという治療を子どもに行います。プレイセラピーは「遊戯療法」とも呼ばれ、イメージと遊びをもちいた心理療法です。心理の専門家のなかにも、プレイセラピーを感情やストレスの発散、ひどい場合には訓練や単なる遊びとしか理解していない人が残念ながらいますが、プレイセラピーというのは、イメージの変容を生み出すことによって、通常ではアプローチし難い心の深層にアプローチすることができる、厳かな心理療法なのです。箱庭はフィギュアを置いていくことによって深層にアプローチしますが、プレイセラピーは身体を使った遊びでもあるので、没入感や体感があり、夢見と同じぐらいのリアリティ(感動体験)があるので、心の深層にアプローチすることによって種々の心理症状を解決改善するには非常に有益な治療方法なのです。
私が大学の相談室で出会ったよう子は、最初は視線がまったくあいませんでした。よう子は他者の存在に怯えているようでした。しかし私がよう子に波長をあわせて関わり、回数を重ねていくうちに次第に視線があうようになり、帰る時にはいつも大きな声で「バイバーイ!」と両手を大きく振って帰っていきました。
数回のセラピーを経た時、よう子は私を砂場へと誘い、それぞれ別の場所から互いに向かってトンネルを掘るという遊びをしました。そして、掘られたトンネルは砂のなか(=大地のなか)で繋がり、私とよう子の手は確かに大地のなかで握手し、私とよう子は一緒に大喜びしました。
また別の回では、よう子は「砂場の砂が汚れている」と言い、砂が入ったバケツに水を入れて砂を洗いました。セラピーがすすみ、ついには、赤ちゃんの人形をもちいて、「この赤ちゃんは泣いていて、血の涙を流している」と言い、血の涙を流す赤ちゃんをケアする遊びをはじめました。
これらのセラピーを経た後、あるとき、よう子は学校の作文で「うんでくれてありがとう」というタイトルの作文をクラスでただ一人書き、担任やクラスメイト、そしてお母さんを驚かせたのでした。そして、よう子が抱えていた母なるものとの関係にまつわる症状(視線があわない、人の気持ちが分からない、対人恐怖など)は次第に改善していったのでした。
このように、母なるものとの関係の治療は、イメージと遊びをもちいたプレイセラピーの場合は、砂場が大活躍します。砂を掘ることは大地を耕すことであり、砂を洗うことは大地に含まれた毒を洗い流す心理的行為なのです。そのような種々の心理的作業を経て、よう子のように、母なる存在の一部であるセラピストと出会い、さらには傷ついた赤ちゃん時代の体験と向き合い、母なるもの(≒大地)との関係を結びなおしていくことが、実際の治療においても確認できるのです。そのため、イメージやイメージの変容がもたらす心理的意義や治療実績は、治療経験によって実証されているのです。
これが、われわれ臨床心理士がイメージを大切に考える理由です(但し、心理士のなかには、こうしたイメージをもちいたセラピーに対して否定的な見識をもっている人もいます)。
【自分でできる心の処方箋】
いかがでしたか。先に紹介した治療のケースは、子どものケースでした。実際、子どもの場合にはプレイセラピーを用いることができるので、大人に比べると、母なるものとの関係(≒母子関係≒愛着関係)にアプローチがし易いと言えます。
しかし、大人の場合であっても、母なるものとの関係の改善は可能です。信頼できるカウンセラーとの情緒的交流、実際の異性との付き合いや母子関係を考える、夢分析や箱庭療法をはじめとするイメージ療法をとおしてアニマやアニムスといった異性像に取り組む、などにより、徐々にですが改善していくことが可能です。そのうちに、意味深い異性像との出会いも起こってくるのです。
母なるものとの関係において悩みがある(自覚がある)方には、カウンセリングを一度試してみられることをお勧めしますが、自分でできる方法として私が推奨する方法は、やはり感動できる物語と出会うことです。繰り返しになりますが、感動体験があることが重要です。
感動体験があると、その物語がもっているイメージと物語の展開が心の整理を促進してくれます。場合によっては、あなたの心のなかに眠る「英雄」を目覚めさせてくれることもあるやもしれません。
ですから、涙が流れてとまらない、興奮がすごいなど、感動体験が著しい映画や物語は、あなたの心が反応している証拠ですから、他人になんと言われようとも大事にしてくださいね。
【終わりに―物語(≒イメージ)は心を救う―】
『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』にみられる心理的テーマー母なるものとの関係ーは、その後、『紅の豚』『もののけ姫』『ハウルの動く城』『千と千尋の神隠し』を経て、『崖の上のポニョ』において1つの解決をみています。
また、先出の記事でも書きましたが、『風の谷のナウシカ』には、宮崎駿監督が14年もの歳月をかけて描きあげた漫画版『風の谷のナウシカ』があります。内容は、扱っている大きなテーマは映画版と同じですが、突き詰め方や物語の展開など、非常に重厚感があり、哲学的な領域にも及んでいます。ナウシカの人間性や母親との関係はさらに詳しく描かれ、クシャナの変容をめぐる物語は非常に感動的です。
最後になりますが、私が宮崎駿監督の作品に感動し救われたように、皆さんが素晴らしい物語に出会えることをお祈りしています。
てだのふあカウンセリングルーム
2017-09-28イメージ(≒物語)の力による心の変容ー『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』に見られる心理的テーマを巡ってー
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