対峙する心理カウンセリングー心の痛みと向き合うー
記事カテゴリ:心理カウンセリング
2024年2月中に、『対峙する心理カウンセリング』と題した心理カウンセリングに関する動画をYouTubeでUPする予定です。
みなさんは「カウンセリング」ときくと、「傾聴」「共感※」「受容」「肯定的関心」「自己一致」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
※正しくは「共感」ではなく、「共感的理解」です。「共感」と「共感的理解」は違います。勘違いしている人が多いので、「知らなかった!」という方はぜひ、YouTubeでの解説動画をご覧ください。
ですが、深い心理カウンセリングでは、上記のことに加えて、「対峙する」というカウンセラー、あるいはセラピストの態度が重要です。
人は往々にして、自分の心の痛みを避けようとします。ぎっくり腰になった後、腰の痛みをかばうように(でないように)、身体(姿勢)が勝手に歪んでしまったことを経験したことはありませんか。
このように、人は痛みに対して、無意識に避ける、防衛する行動をとります。これは心にも共通して言えることです。
心の痛みを防衛する、ごまかす手段として代表的なものを言えば、アルコールです。飲酒ですね。
また、心の病についての理解の仕方の1つに、「疾病利得」というものがあります。心の病にかかることで、実は心の痛みから逃れているという場合も少なくありません。
心の痛みを経験することは誰でも嫌なものです。
幼少期に体験した心の痛みを二度と味わいたくないからこそ、いろんな防衛手段を身につけて、意識無意識的に行い、自分の生存を助けてきたのですから、心の痛みを味わうことを避けることは自然なことと言えます。
しかし、その心の痛みを避ける行為が、個人の心の病をうみ、社会の病理を生んでいるともいえます。
心の痛みに対峙するという作業は、「父性」「母性」の原理でいうと「父性」にあたる作業ですが、日本のユング心理学者かつ臨床心理士の第一人者であり、元文化庁長官の故河合隼雄先生は、日本の病理について、『母性社会 日本の病理』という本を刊行し、日本社会の病理ついて、ユング心理学の視点から言及しています。母性が強い日本社会では、個人の責任をあいまいにし、対峙することを避けます。
最近の政治のニュースを見ていても、個人のニュースをみていても、身の回りで生じていることを振り返ってみても、とても多くの人が自分の心の痛みをごまかし、避けようとしていることがよくわかります。自分を守るためには、相手を傷つけることをためらいません。
自民党議員の統一教会や裏金問題に関わる説明態度を見ていると、人間がいかに自分個人を守ることに必死なのか、ということがよくわかります。政治家の人たちは、誰が指示をしたのか、意思決定のプロセスの事実を曖昧にしていますよね。挙句の果てには、亡くなった人に責任を押しつけたりする始末。あれは、組織を守るように見えて、組織に属する個々人を守っているのですね。互いに守りあって、お互いに手を汚しているので、黙っていたりする(黙っていることは、対峙しない卑怯者と言うこともできます)。
こうした自己防衛の事例は、なにも政治家にかぎったことはなく、身近なところに、そこかしこに転がっています。
また、今のSNSの様相をみると、本当に混沌としています。嫌気がします。
社会がよくなるためにも、個人が自身の心の痛みと向き合う(=対峙する)ことが必要な時代になってきていると、私は思います。
自身の心の傷に対峙することは辛いことだと思います。
と同時に、自身の心の傷に対峙し、ごまかさず、苦しみを味わいながらも、心折れずにどのように生き抜いていくのか、そのなかで高次の欲求へと至るのか、それは尊いこともでもるし、それがその人の生きざまと言えるのだと私は思います。そして、その個別の道をともに探すことが深い心理カウンセリングの醍醐味でもあります。
このプロセスは、単に傾聴や受容や共感的理解といったことではありません。
以前に、YouTubeの動画ではお伝えしていることですが、私にとって心理カウンセリングとは、「レスリング」です。それは「対峙」するということです。
心理カウンセラーを養成し指導する大学教授のなかには、心理カウンセリングを「アート」と呼ぶ人が割と多くいます。ですが、私はこの「アート」という表現が好きではないのです。「アート」といえば、技術・テクニック的な面、美的な面が強調されている感じがあり、カウンセラー自身の技量に酔っているような印象がするのです。
ややもすれば、心理カウンセラーのほうが心の痛みを避けて、蓋をする場合もあります。
私が思う深いカウンセリングは、どろどろしていて、本当であれば避けたい、踏み入れたくないような、そういう領域と対峙するというものです。
アダルトチルドレンに該当する人をはじめ、虐待やいじめ、ハラスメント、性被害などを経験してきた人たちが、自分らしさを取り戻し、活き活きと自信を生きれるようになるためには、心の傷と対峙する深いカウンセリングが必要です。
心の傷と対峙するというテーマは、不登校の問題、いじめの問題、SNSの問題などにも深く関わっています。
ただ、今まで自分が避けてきた心の痛みに一人で対峙することは怖いですよね。怖いからこそ避けてきたのですから。でも安心してください。心理カウンセリング(心理療法)では、あなたは一人で心の傷と対峙するのではありません。
心理カウンセラーがあなたの心の傷に向き合う旅路を“ともに”します。その旅路を“ともに”すること、それこそが心理カウンセリング(心理療法)の本質だと思います。
あなたの心の傷は、あなたが子ども時代に、あなたの怒りや苦しみ、あなたの訴えにも関わらず、周囲の大人が関心を示さず、ちゃんと対峙してくれなかったものによるものかもしれません。あるいは、大人になってから、そういう不誠実な周りの態度に傷つくことになった人もいるかもしれません。あなたが自身の心の苦しみを訴えたとき、そこに真摯に対峙してくれた他者がいたかどうか、その体験がとても大切なのです。
そして、本当の癒しというものは、自身の心の痛みと向き合ったその先にあるのです(※)。
※トラウマケアの場合は、自身の心の痛みに向き合うまえに、「準備」が必要です。
ご関心がある方は、YouTubeのチャンネルページを覗いていただけますと光栄です。
てだのふあカウンセリングルーム
2024-02-11対峙する心理カウンセリングー心の痛みと向き合うー