ウィル・スミスさんのビンタ事件に関して―いじめ対応被害者ケアの視点から―
記事カテゴリ:心理カウンセリング
3月27日、アメリカのロサンゼルスで行われた第94回アカデミー賞授賞式で、妻のジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪型を、司会のクリス・ロックさんがジョークにしたことに激昂したウィル・スミスさんが、舞台にあがってクリスさんをビンタした出来事が、とても大きな話題となっています。
私自身は、いじめ対応や被害者ケアに関わって、社会的な影響が強い出来事として関心をもち、事態がどのように展開してゆくのか、関心をもって見ていましたが、ウィル・スミスさんが社会から強く非難され、ウィル・スミスさん自身も謝罪し、クリスさんがケアされる事態となり、「なにがあっても暴力は許されるべきではない」という風潮が高まっていて、さらにはウィル・スミスさんへの社会的な制裁や、ウィル・スミスさんの行為を揶揄するようなコメディアンまで登場し、それを笑いにする人たち(笑いとして受け入れる人たち)がでてきている始末で、どうやらアメリカではあまり良い方向に事態が展開していないように思われるので、いじめ対応や被害者ケアの視点から、本事件について、私なりの解説を行うことにしました。
今報道で伝わってくるアメリカ社会の対応は、いじめやいじめに類するからかいなどの事案において、学校の先生たちがよくやりがちな誤った対応の典型です。
アカデミー賞という高尚な受賞式なのだから、学校でおこるいじめやからかいと同じように考えるのは間違っていると考える方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
ウィル・スミスさんや、髪型をジョークにされた当人であるジェイダ・ピンケット・スミスさんがどう思い感じているのかが重要であることは言うまでもありませんが、今回の件で被害者なのは、ウィル・スミスさんとジェイダ・ピンケット・スミスさんであり、加害者で罰せられるべきは、アカデミー賞の授賞式という舞台で、ジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪型(さらには病気によるもの)を笑いにしたクリスさんだと私は思います。
そして、本質的な問題と考えられるのは、クリスさんのジョークで笑った聴衆の価値観や感性であり、その後もそれを笑いにするコメディアン、そして、それで笑う人たちの価値観や感性です。
ウィル・スミスさんに対する非難の理由として、「なにがあっても暴力は許されるべきではない」という根強い考えが社会にはありますが、私はこれは間違っていると思います。このウィル・スミスさんとの件について、ある臨床心理学者の教授と話した際にも、「暴力をふるったのだからそれはよくない」とその教授は話していましたが、私は違うと思います。
まず、「暴力」と言ってもいろんな暴力があります。身体的な暴力もあれば、言葉の暴力もあります。クリスさんのふるった暴力は言葉の暴力です。それが、いじめる側の人やおもしろがる人たちは「ジョークだよ」という言葉で自身の行為を正当化し、暗に「あなたの受け取り方が間違っている」「受け取り方が間違ったあなたが悪い」というメッセージを相手に送るのです。
言葉の暴力より身体的な暴力のほうが悪いということは言えません。私が心理士の駆け出しの頃に出会った中学生の女の子は、自分に虐待をしていた実の母親から「あんたにあの汚い父親の血が流れているかと思うとぞっとする。あんたの血を全部抜いてしまいたい」と言われ、もちろん他の出来事も関係しますが、自殺未遂を起こすほど苦しんでいました。
この言葉の暴力の評価の難しいところは、言葉の暴力でその人がどれだけ傷ついたのかは、周りには分かり辛いということです。
しかし、そもそも、その一言や行為によって、その人がどれほど傷つくのかは、その人の主観的なものであり、他人が裁量を下すような領域ではありません。よく「そんなことぐらいで怒るな」という言葉を耳にしますが、その発想自体が間違っているのです。
普段から日常的に怒っている人ならまだしも、めったに怒らない人が怒るからには、相当な理由があるはずです。まずそのことを第一に考えなければなりません。
私が思うクリスさんの罪は3つあります。
1つは、ジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪型(さらには病気によるもの)を笑いにしたこと
2つは、アカデミー賞の舞台スピーチという公的な場において、そのような悪質な「ジョーク」を行ったこと
3つは、「ジョーク」と言えば許される、許容されると思っていること(その言動が相手や関係者をどれだけ深く傷つけるのかに想像を及ぼしていないこと)
です。
私が報道されている映像で見た限り、ウィル・スミスさんの激昂ぶりとその後の彼のスピーチから伝わってくる悲しみと怒りには、とてもリアルなもの、嘘ではない感情がありました。私は彼の怒りと悲しみがどれほどのものだったかと思うと、今回のアメリカ社会の対応には腹が立ちます。
さらには、ジェイダ・ピンケット・スミスさんは、ジョークにされた瞬間、あまり良い表情をしていなかったように私には見受けられました。彼女も大笑いしているならまだしも、彼女自身は苦笑いしているような、微妙な表情をしていて、他の聴衆は笑っているという事態は、まさにいじめが起こる問題のあるメカニズムの典型です。ここに、今回の本質的な問題である、このジョークに笑った聴衆の問題があります。
これは先にクリスさんの罪の2つめに挙げたこととも関連するのですが、公的な場においては、基本的に司会者が絶対的な力をもっており、他の参加者は弱い立場になります。たいていの場合、司会者から嫌なことを言われても、参加者には我慢しなければいけないような圧力がかかります。さらには高尚な公的な場ゆえに、我慢しなければいけないという圧力が一掃強くかかってきます。
このように、公的な場というのは、それだけである種の特有の力をもっているので、公的な場所で力をもっている人が行う言動はそれだけ責任が重いのです。公的な場所なんだから、「何をされても我慢するべきだ」というのも暴力と言えそうです。
私が思うには、ウィル・スミスさんだったからこそ、ああいうアカデミー賞授賞式の場で、相応しい怒り方ができたのではないかと思っています。そう、私は、ウィル・スミスさんの行動は、その瞬間に浮かぶ、一番相応しい行動であったと思っているのです。
「暴力」という言葉は一人歩きしがちですが、何度も言いますが、暴力にもいろんな暴力とレベルがあることを忘れてはいけません。
注目に値するのは、ウィル・スミスさんがグーパンチで殴ったのではなく、平手打ちを行ったという点です。ここに私は彼の理性、自制心を感じるのです。よくぞ平手打ちで我慢したと。
私はアンガーマネジメントを学び、アンガーマネジメントを教えていますが、今流布されているアンガーマネジメントには欠点があると思っています。それは、怒りをコントロールすることばかりに焦点がいき、怒りが相手に伝わるという視点が欠けているのです。
私は、ウィル・スミスさんの平手打ちがあったからこそ、彼がどれほど心を痛めたのかが聴衆に伝わり、それまで笑っていた聴衆もはっとしたのだと思います。ウィル・スミスさん自身は、自身の行為について「許されない行為だった」と述べていますが、あの時、あの瞬間、ウィル・スミスさんはクリスさんに対してだけではなく、笑っている聴衆にもきっと腹が立っていたのでは、と私には思えてならないのです。それは彼自身も意識できていない深いところで起こっていた怒りであり、彼の正義感からきている可能性すら感じます。あの時、あの瞬間に、クリスさんだけではなく、笑っている聴衆や画面の向こうで笑っている大衆にも、怒りが伝わるには、ビンタするしかなかったのではないか、と私は思います。あのような大きな場所で、いくら大声で叫んだところで、なかなか怒り(彼の傷つき)は伝わらなかったのではと思うのです。
そして、この手の問題でよくでてくる「喧嘩両成敗」という考えです。この考えをする人は、いじめ対応や被害者のケアを理解することはできないと私は思います。喧嘩両成敗ということは多くの場合、あり得ません。そもそも両成敗という言葉が間違っています。
私の考えから言えば、先に暴力をふるったのはクリスさんになりますし、先に述べた3つの点で、クリスさんの罪は大きく、罰せられるのはクリスさんなのです。
もちろん、我慢したとはいえ、手を出してしまったウィル・スミスさんにも、何かしらの処置は必要だと思いますが、ウィル・スミスさんにはケアが必要なのです。私は彼があやまって自分を過度に責めてしまわず、あの時、自分にどんなことが生じていたのかを理解できるような、そしてケアされるような、そういうケアがなされるといいなと思います。その後の彼の行動や言動を見ていると、あの瞬間に起こったことを、彼自身整理できていないと思うからです。
さて、まとめると、今回、私が伝えたかったのは、この事件の問題の本質です。それはいじめのメカニズムの本質もでありますが、それはこの手のジョークで笑う聴衆であり、ウィル・スミスさんを加害者に仕立てあげ、制裁を加える社会です。
ウィル・スミスさんを加害者に仕立てあげることで守られるのは、この手のジョークで笑う聴衆一人一人の人間性です。「この手のジョークで笑った私は悪くない」「悪いのは暴力をふるった彼だ」という具合です。
多くの人は、自分の罪を認めたくありません。「私が悪かった」と思いたくないのです。
終わりに、社会に強い影響を与えるマスコミも、いじめのメカニズム、被害者のケアをしっかりと理解したうえで、適切な考えが社会に普及するように報道してほしいと思います。「暴力」と一言で済ませず、その中身を細かく見ていくことが大切です。なんでもかんでも「暴力」と表現してしまうことには、違和感や思考の停止を感じます。
ウィル・スミスさんのその後の言動を見る限り、今回の私の推論は、もしかしたら、この件に関しては間違っているかもしれません。さらには、アメリカという文化の特殊性や根深い問題が関わっている印象もうけます。しかし、今回紹介している事柄は、通常のいじめ対応や被害者ケアにおいては、とても重要なポイントとなります。
この手の悪質なジョークやからかいで傷つく人が減ることを願います。
皆さんは、どのように考えますか。
てだのふあカウンセリングルーム
2022-04-06ウィル・スミスさんのビンタ事件に関して―いじめ対応被害者ケアの視点から―
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